大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和55年(ネ)1294号 判決 1981年2月17日

控訴人

依田実

右訴訟代理人

湯本清

被控訴人

堀内繁幸

右訴訟代理人

山崎博太

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し金三〇七万一六八円及びこれに対する昭和五一年四月二七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審を通じこれを一〇分し、その一を被控訴人の、その九を控訴人の各負担とする。

この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一控訴人が、昭和五一年四月二七日午後六時三五分頃、原動機付自転車を運転して長野県道芦田大屋線(以下「本件県道」という)を上田市大屋方面から立科町方面に向け進行中、同県小県郡丸子町藤原田五六六番地先路上において被控訴人飼育のシェパード犬(牝四才)と接触して転倒し、負傷したことは、当事者間に争いがない。

二そこでまず、右事故に対する被控訴人の責任について判断する。

<証拠>を総合すると、被控訴人は、自宅敷地内に鉄製の檻を設け、前記シェパード犬(体長約一メートル、体重約一五キログラム)をその中で飼つていたが、本件事故時刻直前頃、右犬を散歩に連れていこうとして檻から出したところ、犬は同家東側の本件県道に飛び出していき、折柄同所県道東端を立科町方面から上田市大屋方面へ向け歩行中の訴外堀内茂男に対し道路中央部付近において吠えかかり同人と約2.6メートルの距離にまで接近したこと、右県道は幅員5.25メートルのアスファルト舗装で平担であり、車歩道の区別はなく、路上の見とおしは良好であること、控訴人は、前記のとおり原動付自転車を運転して時速約四〇キロメートルで進行中、前方約41.6メートルの地点で犬を発見し、犬が前記の如く訴外堀内に吠えかかつているのを見ながら約一六メートルの距離に至つて速度を三〇キロメートル毎時程度に減じ道路中央部付近にいた犬のすぐ後方を通り抜けようとしたところ、犬は突然後方へ向きを変えて進もうとしたので控訴人は危険を感じ制動をかけたが間に合わず、原動機付自転車の前輪部が犬と接触して路上に転倒し、左鎖骨及び左踵骨骨折の傷害を負つたこと、以上の事実を認めることができる。右認定に反する原審証人堀内茂男の供述部分は前掲各証拠と対比して措信できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

右事実によると、本件事故は、通行人に向つて吠えていた犬が、時速三〇ないし四〇キロメートルで排気音を立てて(原動機付自転車がその進行中かなりの排気音を発することは経験則上明らかであり、原審証人堀内茂男の証言によれば、同証人も控訴人の原動機付自転車の排気音をはつきりと耳にしていたことが認められる)接近してくる原動機付自転車に驚き転進して右自転車の直前を横切ろうとしたのと、控訴人が、路上で、犬が通行人に向つて吠えている状態にあることを視認しながら時速を約三〇キロメートルに減じた程度で敢えて原動機付自転車を運転して犬の至近後方を通過しようとしたこととが競合して発生したものであることは明らかなところ、被控訴人としては、右犬が普段はおとなしい性質であつたとしても、原動機付自転車の高い排気音を聞き、かつ右自転車に急速に接近された場合、驚いて不測の行動をとることのあるべきことは当然予測しなければならず、したがつて、犬のけい留を解くときは本件の如き事故の発生する虞れのあることは十分認識すべきものであつたのに拘らず、けい留を解き、その結果として本件事故を惹起したことは、犬の保管について相当の注意を欠いたものというべきであるから(なお、<証拠>によれば、長野県条例(昭和三三年四月七日条例一七号)により、飼犬は特定の例外の場合を除き常にけい留しなければならないものとされていることが認められるところ、本件はその例外の場合には該当しないものである)、民法七一八条に則り本件事故により控訴人の被つた損害の賠償責任があるものというべきである。他方、控訴人としては、体長一メートルもあるシェパード犬が通行人に吠えつき気を荒立てている折に原動機付自転車で接近するときは、右犬が驚いて向きを変え原動機付自転車と衝突することの起り得べきことは十分に予想できるのであるから、犬の手前で一旦停止するか又は何時でも停止できる程度に徐行して犬の動静を見極め安全を確認してから犬の側方を通過すべき注意義務があるのにこれを怠り、前記のとおり漫然時速三〇キロメートルで排気音を発しつつ犬のすぐ後方を通過しようとしたことに過失があり、右過失が本件事故の発生に寄与したことは否定できないところである。

三次ぎに損害額について判断する。

1  <証拠>によると、控訴人は前記傷害のため、昭和五一年四月二七日から同年七月二〇日まで長野県小県郡東部町の東部中央病院に、同月二六日から同年八月五日まで上田市中央西一丁目の安藤病院に各入院して治療を受け、同月五日から同年九月三〇日まで温泉療法のため同郡丸子町の霊泉寺温泉診療所に入院し、同年一〇月二日から同年一二月四日までの間に一九回右安藤病院に通院して治療を受け、さらに同年一一月二八日から同五二年一月一〇日までの間に九回に亘り松本市の信州大学医学部附属病院に通院加療し、同月一一日から同年二月一九日まで同病院に入院して手術(腓腹神経剥離移行術)を受けたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(一)  右治療等のため支出した医療関係費

(1) <証拠>によると、控訴人は、前記東部中央病院に対し、初診料、入院費、部屋代、電気代、証明書料、松葉杖使用料として合計金一〇万五〇〇円を支払つたことが認められる。

(2) <証拠>によると、控訴人は、前記安藤病院に対し、初診料、入院費、診断書料として合計金一万一八六〇円を支払つたことが認められる。

(3) <証拠>によると、控訴人は、前記霊泉寺温泉診療所に対し、初診料、寝具クリーニング代、電気代として合計金三、五〇〇円を支払つたことが認められる。

(4) <証拠>によると、控訴人は前記信州大学医学部附属病院に対し、初診料、寝具料、入院費、診断書料として合計金二、七八〇円を支払つたことが認められる。

(二)  同通院交通費

<証拠>によると、控訴人は、前記安藤病院へ通院のためのバス代として一往復七〇〇円、一九回計一万三三〇〇円を支弁したことが認められるが、控訴人主張の信州大学医学部附属病院への通院のためのガソリン代、有料道路通行料金二万五〇〇〇円については、これを認め得べき的確な証拠はない。

(三)  入院時の附添看護料

<証拠>によると、控訴人が東部中央病院に入院したうちの一二日間及び信州大学医学部附属病院に入院したうちの二日間、妻貞代が看護のため附添つたことが認められるところ、これが附添料は、一日金五、〇〇〇円、計七万円と認めるのが相当である。

(四)  附添看護のための交通費

<証拠>によると、貞代は、控訴人が前記各病院に入院中看護のため自家用車で自宅より入院先の各病院に通院したことは認められるが、そのために消費したガソリン代、有料道路通行料については、これを認めるに足る的確な証拠はない。

(五)  入院雑費等

前記認定の入院期間一九二日(二重となつている八月五日分は一日として計算する)の雑費は、弁論の全趣旨により一日につき金五〇〇円計九万六〇〇〇円と認めるのが相当であるが、医師、看護婦への謝礼については、その事実を認め得べき証拠はない。

2(一)  <証拠>によると、控訴人は、上田市所在の訴外コトヒラ工業株式会社に勤務する板金工であつたが、本件事故による傷害のため、昭和五一年四月二八日から同五二年三月九日まで前記会社を欠勤し、その期間中同会社から給料及び賞与一切の支給を受け得なかつたこと、控訴人の本件事故当時の本給は、月額一三万二五〇〇円、家族手当は同六五〇〇円、特別・技術手当は月額平均五〇〇〇円(技術手当は月額三〇〇〇円、特別手当は月額平均二〇〇〇円)残業手当は年間を通じ月額平均四万二八七三円(残業手当は本給の二割五分で一時間九二二円、一か月平均残業時間は46.5時間である)であるから、欠勤期間中に受くべき給料等の額は、金一九四万三四七九円であること、同会社は、昭和五一年四月二一日から同年一一月二〇日までの期間及び同月二一日から同五二年四月二〇日までの期間の賞与として、各一律本給の二か月分を支給したので、控訴人が勤務していたならば受け得たであろう賞与の合計額は金五三万円となることが認められる。控訴人は、成績良好者には右の外に0.5ないし一か月分の特別賞与が支給された旨主張するが、控訴人が欠勤しなかつた場合、右の賞与を受け得たであろうことを推認できる証拠はない。

すなわち、控訴人は、本件事故による傷害がなければ勤務先会社から受け得たはずの金二四七万三四七九円を右傷害のため受け得られなかつたものと認めることができる。

(二)  <証拠>を総合すると、控訴人は、約一九九アールの田畑を所有し、妻貞代ら家族と共に副業として農業及び養蚕を営み、その農業所得は、昭和五〇年度で七一万二一四五円、同五一年度で五一万二三五〇円、同五二年度で三六万九三六五円であることが認められる。而して右事実によると、控訴人が本件事故により入院した昭和五一年度の農業収入は、昭和五〇年度に比し一九万九七九五円の減(二八パーセント減)、同五二年度は、同三四万二七八〇円の減(48.1パーセント減)となつており、控訴人が本件事故で入院した日が昭和五一年四月二七日である事実に照らすと、昭和五一年度の減収は控訴人の受傷入院によるものと一応推定できるようであるけれども、後遺症があるにせよ(この点は後述する)就労可能となつた昭和五二年度(おそくとも昭和五二年三月一〇日に就労可能となつたことは会社欠勤に関する前認定の事実に照らし明らかである)の収入が同五一年度の収入よりさらに減少している事実に鑑みると、必ずしも単純に前述のような推定を下すことができないところであり、しかも、前掲各証拠によると、控訴人は、前記会社に勤務するため午前七時四〇分頃に自宅を出、午後五時まで会社に勤務し、一か月のうち平均46.5時間は残業するのであるから、原審において控訴人本人の供述するように日曜祭日と第一、第三土曜日が休業日であるとしても、控訴人が家で農作業に従事する時間は妻のそれに比し極めて少く、従つて農業経営に対する控訴人自身の寄与度は妻のそれに比し極めて小であると認めざるを得ない(原審において控訴人本人は、農繁期には出勤日でも早朝四時より出勤までと、帰宅後就寝までの時間に農作業に従事する旨供述するが、以上認定の事情に照らし措信し難く、仮にそのようなことがあるにしても、それは極く限られた期間であり、農業生産に対する全体の寄与度からみると、殆んど問題とするに足らないものと認められる)から、前記昭和五一、五二年度の農業収入の減少が、控訴人の就労不能によるものとはにわかに断じ難い。控訴人は、妻が控訴人の看病などのため農業に従事することができなかつたことも減収の原因であるとし、それをも本件事故による損害として賠償請求できる旨主張するが、仮にそのようなことが事実であつても、それは事故と必然的な関係のある、つまり相当因果関係のある損害とは認め難いから、被控訴人に対し賠償請求をなし得るものではない。

すなわち、控訴人の農業収入の減少に関する主張は、採用の限りではない。

3  <証拠>を総合すると、控訴人は、昭和九年一月一日生の男子であるところ、前記認定の傷害により入院及び通院の治療を続けたが、右傷害のため控訴人は身長が約一センチメートル短くなつた、正座することが不可能で日常の立ち居に困難を感ずる、長く立つていることができない、歩行にも困難を来たす、左腓腹神経障害があり夜間に痛みを感ずる、などの後遺症があり、これは昭和五二年三月に固定し、現在に至つていること、控訴人は右後遺症により、勤務先会社では従前の板金工の労働が困難となり、現場事務の仕事に配置替になつたことが認められ、且つ、右後遺症は、労働基準法施行規則別表第二身体障害等級表に照らせば第一〇級に該当するものであることが認められるけれども、控訴人において右労働能力の低下により勤務先会社の給料につき収入減を生じたことについては何ら主張、立証はなく、また、右労働能力の低下が将来において控訴人の収入を減少せしめることを予測し得る特段の事情も認められないところであり、農業収入については前述のとおり収入減を生じたものとは認められないから、控訴人の労働能力低下による損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなくこれを認めることができない(最判・昭和四二年一一月一〇日民集二一―九―二三五二参照)。

4  本件事故により控訴人の被つた傷害の部位、程度、入院、通院等の治療期間、後遺症の状況等本件にあらわれた一切の事情を考慮するときは、控訴人の本件事故によつて被つた精神的苦痛は、金三〇〇万円を以つて慰藉されるのが相当であると判断される。

5  <証拠>を総合すると、控訴人は本件訴訟のため控訴代理人弁護士湯本清に対し訴訟委任をなし報酬として金一二〇万円(うち二〇万円は着手金として支払済)の支払約束をしていることが認められるところ、以上に顕れた本件事案の内容に照らし勘案すると、右報酬金は、五〇万円の限度において本件事故により控訴人の受けた損害と認めるのが相当であると判断される。

6 以上によれば、本件事故により控訴人の被つた損害額は、合計金六二七万一四一九円となる。ところで、本件事故発生の原因となつた被控訴人両者の過失の割合については、本件事故発生の根元が、被控訴人において飼犬を県道上に不法に放したことにあるなど、前記二認定の諸般の事情を勘案するときは、被控訴人が六割、控訴人が四割と認定するのが相当であると判断される。右認定の過失の割合により控訴人が被控訴人に対し損害賠償として請求し得る金額は、右の六割すなわち金三七六万二八五一円であるといわなければならない。

然るところ、控訴人は、昭和五一年四月二八日から同年一〇月二四日まで健康保険法に基く傷害手当金として六九万二六八三円の支給を受けていることを自認しているから、前記金員からこれを控除すると、本訴において被控訴人に対し請求し得べき金額は、三〇七万一六八円となる。

四よつて、控訴人の本訴請求は、金三〇七万一六八円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和五一年四月二七日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で相当であるから、右の限度でこれを認容し、その余の請求は失当として棄却すべく、控訴人の請求を全部棄却した原判決は失当であるからこれを変更することとし、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(蕪山厳 浅香恒久 安國種彦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例